良くしていこう What I thought to have a good time
- 5月8日
- 読了時間: 4分
さんすうの授業時間、気がつくと時計ばかり見ている。
はやく校庭で遊びたい、と窓の外を眺めながら。
時が経ち、さんすうが数学になっても、授業中時計ばかり見てしまう。
この頃にはとくだんなにかしたいわけでもない。
ただ、はやくこの時間が過ぎないかと思っているだけである。
となりで机に突っ伏して寝ている子が叩き起こされて、おこられている。
鉛筆を持ったまま時計とノートをただ60分繰り返し眺めているくらいなら眠って疲労回復していた方がむしろ良いことではないのかなあ、なんて思いながら時は過ぎる。
何年か経ち、仕事をするようになっても、はやくこの仕事終わらないかな、の繰り返しが続く。
誰かの話を聞いていても、早くこの話終わらないかな、とあくびをする。
どこで身についたのかわからないこの惰性的なスタイルからどのタイミングかで抜け出さなければ、
かけがえのないものを感じるセンサーはどんどん鈍ってしまう。
電車で綺麗な景色が目の前に現れても、下を向いてスマホの中の絶景写真集を見ているような。
まあ、それ、なんか嫌だなあ。
第二の誕生という言葉がある。(ジャン=ジャック・ルソー)
胎児は母親の羊水の中で守られながら心地よく過ごしている。
でも、大きくなって狭くなってくると母親も自分も苦しいから、なんとかがんばって外の世界へ出てくる。
不安で苦しいけれど、外に出た瞬間にそこで初めて自分を守ってくれていた人に会うことができる。
そして、自分の人生もはじまる。
それと同じく、いつまでもこのままではいけないという状況から抜け出す。
だいたいそんなもんでしょ、から抜け出す。
たぶんこれが第二の誕生。
でも抜け出すのはそう簡単にはいかないし、実際最初はつらいことの方が多いかもしれない。
むしろ最初が一番つらいから投げ出しやすいのかもしれない。
いつだって、何かをあきらめさせる要因だけは羊水のように心地よいから、そこに留まる理由だけを与えてしまう。
" 絵が上手になりたいから描いたのに下手だと言われたから、やめた。”
" 仕事が忙しいから、やめた。"
" 仲良くしようとしたのに嫌われたから、人と関わるのをやめた。”
笑われた、ばかだと思われた、変な人と言われた、誤解された。
きりがない。
誰かのせい、自分のせい、何かのせいにするのは気分的にすっきりしたとしても、結局自分の価値観に傷を増やすだけで本当になにも残らない。不毛。
なかなかすぐにはやめられないけど、こんなことはやいとこやめよう。
" 絵が上手になりたいから描いたのに下手だと言われたから、やめた。”
何枚も描いたら上手になるし、本当に好きだったら他人の評価はどうでもいい。
上達したかどうか決めるのは誰かではなく、未来の自分だ。
" 仕事が忙しいから、やめた。"
例えば旅行に行きたいから一生懸命働いていたら、疲れて行きたい気力がなくなってしまった。
と、なるかもしれない。仕事が楽しいから、やめた。ならとてもいいと思う。
でもそうじゃないなら、何か見直さないといけない気がする。
" 仲良くしようとしたのに嫌われたから、人と関わるのをやめた。”
人が人と関わっていれば、自分でも、相手でも、一方通行は必ず起こる。
コミュニケーションに標識はないから、相手の道路を逆走してしまったのかもしれない。
気にしたらキリがないし、嫌われたら、そっとしておこう。
猫も同じ。怒ったり威嚇してるときはそっとしておく。
来たいときは、かってに寄ってくる。このくらいでいいじゃないか。
「…私は何よりもまず哲学において確実な原理をうちたてることにつとむべきだと考えた。そしてこのことは世に最もたいせつなことであって、しかもそれにおいては速断と偏見とを最も恐れねばならないのであるから、当時二三歳であった私は、もっと成熟した年齢に至ったうえでなければ、そういうことの結着をつけようなどと企てるべきではないと考えた。」(ルネ・デカルト 野田又夫訳 『方法序説』より)
何か壁にぶつかって、すぐため息をつく、すぐ決めつける習慣を断ち切ろう。
それはあんまりよくないとデカルトも言っている。
前向きになるわけでもない、なんというか、もっと他に方法はないか考えよう。
10個ダメなら100個試して、100個ダメなら息抜きしよう。
コーヒー飲もう。お茶でも、ジュースでも好きなもの飲もう。
最近は鉄分が足りないからルイボスティーを飲んでる。
何が書きたいのかわからなくなってきた、とりあえず、良くしていこう!

