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やはり本が好き no.1

  • sotonoin
  • 2025年11月11日
  • 読了時間: 5分

更新日:2025年11月14日

読書の秋。


読みたい本はいくつかあるものの、お店は休業につき、通院などで結構出費があったので節約しようかと本棚の本を読み返していました。


ゆっくり読みたかった韓非子を読んでいます。


その中でも気に入っていて、適当にめくるとその頁が開かれてしまうほど読み跡のついた頁が何ヶ所かあるのですが、その一つが"難言(言うに憚る)"です。


あくまで私語訳ですが、内容はこんな感じ。

少し長いです。





ー 私は畏まったり、遠慮したりしてものを言うことを憚っている(ためらっている)わけではありません。


その理由を申しますと、


もし、聞き心地の良い言葉でひろびろとお話しすれば、それらしい言葉をなんとなく言ってるだけで中身がないと思われましょう。


もし、まじめに偽りなく誠実な物言いでお話しすれば、言いたいことがうまく伝わりづらく、話に筋道がないと思われましょう。


もし、ことわざのような古典から例え話をしてみれば、だからなんだと、退屈で無益な話だと思われましょう。


もし、つまりこういうこと、と単刀直入にわかりやすく要点だけお話しすれば、押し付けがましくて配慮がない話と思われましょう。


もし、聞き手のあなたの思っていそうなことを先まわりして、それが的中し、他人の内情手に取るように探りながらお話しすれば、出過ぎたまねをしていて無遠慮だと思われましょう。


もし、勘定計算するように、数をあげながら細かくお話しすれば、欲あって卑しいと思われましょう。


もし、下世話で俗っぽい話題で興味をひき、愉快にお話しすれば、ご機嫌取りな奴だと思われましょう。


もし、俗世離れしていて人情あふれるお話しをすれば、一般とかけ離れすぎていておおげさなでたらめだと思われましょう。


もし、自分の文才を信じて、文章やリズムに格好をつけてお話しすれば、この人は物書きか何か小説家きどりかと思われましょう。


もし、私は正直にこう思いますと、本心をまごころのままにお話しすれば、率直なだけで考えたらずな田舎者だと思われましょう。

 

もし、良いところで故事などを引き合いに出してお話しすれば、昔話の語り部かなんかかと思われましょう。


これが、私のものを言うことをはばかり、深く憂鬱になっている理由です。


そうもすれば、いくら思ったことが正しかったとしても、その言葉は必ずしも聴き入れられることなく、


道理が通った名案でも必ず用いられるわけではありません。


どんなに知恵のある方の話でも、聴き手があらゆる難癖をつけてその言葉を信じられないならば、


その知恵のある方でさえも、


良くて誹謗中傷や悪口の的になり、


悪くてトラブルや厄介事に巻き込まれてしまうでしょう。


至言耳に忤らい、心に倒する。


なにとぞ、このことをよくよくお考え下さいませ。ー





なんか訳が適当でフランクになってますが、


話をするのに言いづらい理由を韓非子が王さまに説明している話です。


かんたんにしてしまうと、


話聴かない相手に気を遣って丁寧にしたり面白くしたりといかにまともに話を聴いてもらえるか熟考して話し方を工夫したとしても相手にまるで聴き耳がなく反論してばかりならば徒労であるから話す気が失せてしまうの、わかりますか。といったところだろうか。


内容は何百年も前の文章であるのに、現代の問題にぴたりと合致していると思います。


情報の利便性が高まり、なんでも大抵のことは検索エンジンですぐにアクセスできてしまう今の時代は聞き心地の良い文章であふれていることもあり、何が良い話で何が悪い話なのか自分の力で見分けることが難しくなっていると感じます。


お店(というかビジネスとみなされるんだろうな。)をやっているとAIセミナーのチラシやDMが必要なくても届きますが、AI(主に文章だとchat gpt)なんかが主流になってしまえば、ますます聞き触りのよい文章が頭を使って考えることもなく、いともたやすく量産されて、全般にひろがるでしょう。


と、まあ考え出したら仕方がないのですが。


一生懸命に伝え方を考えても誤解されるのなら、話をするのも億劫になって、便利だからAIに考えてもらおう、その方が仕事が効率的で楽だという道理もなんとなくわかります。


AIを否定しているわけではなく、ところどころそれに頼ったとしても上手く校正してとりまとめ仕上げにかかるのは文章を書く人の個性や手腕だと思います。

それがなくしてAIにまかせきりのオートメーションでは薄っぺらなコピーペーストと大差はないでしょう。


しかし、どんなに便利になっても本は紙の本が好きだなあ。


そしてコーヒーや紅茶も、ドライフルーツや和菓子であっても、手間ひまかかった凝り性の生産者が好きだ。(今気になるのは市田柿。)


一瞬で読んでしまうし、一瞬で食べてしまうのは大量生産でも手仕事でも同じなんだろうけど、


たくさん考えて試行錯誤された、手間ひまかかるものは記憶や感覚に長く良いものとして残る。


そこに至るまでの数多くの失敗を含めてあったとしても。


この韓非子の"難言"は、"いうに憚る"とも訳されており、


なんかどっかで聞いた話だよなと思いながら読んでいたのですが、高校の時の漢文のワークシートにあったお話でした。


あの頃はこんなの卒業したらなんの役にたつんだと思いながら漢文を訳する宿題の課題に毎回苛々しておりましたが、


卒業したら、役にたつかたたないか関係なく、韓非子が好きで興味があるから読んでいるし、残念ながら課題の文章はすっかり忘れていたからプリントや教科書より本の方が覚えるよとその頃の自分に伝えたい。


そして勉強してきたことが大概は趣味と化してしまい、なぜか細々と珈琲屋をやっているとその頃の自分が知ったら、ますます学校や勉強がばかばかしくなってしまうだろうか。


とても分厚い本なのでしばらく楽しみます。













 
 
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