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静寂の時間 no.5

  • sotonoin
  • 20 時間前
  • 読了時間: 2分

今日は昨日の交換作業。


白鳥の鳴き声。


天気がよい日は気持ちがいつもよりすこし爽やかで。


冷めたお湯を捨てて、

新鮮な水を沸かす。


ゴミ袋をとり替えて、

鉢植の渇いた土に水を与える。


朝の思考回路は虚空で、時間経過とともにそこの空間にさまざまな今日の思想のかたちが出現する。


私は傷を持っている。


また、他の人も傷を持っている。


話をしたり、聞いたり、共感するとき、


必然的に余計な傷を受けてしまうこともある。


すると、誰だって結構疲れる。


共感もラインオーバーする場合には、正直、畑仕事より、疲れる。


傷は古くなり、跡になり、また増える。



私は、車のようだと思った。


走行距離が長くなれば、多少なりとも、必ず傷がつく。


険しい道を走れば、普通の道より余計傷つく。


なので、毎日でなくともたまにメンテナンスしないといけない。


走っているから傷つくのだけど、

車は目的地まで走るためにあるように、


生きているから傷つくのだけど、

生きているから、いきものではないか。


永遠に傷つかないためには、

なんて楽なことを思わないで、日頃から、錆びる前に補修して、オイルが切れる前に交換する。


そうしてきっと、壊れずに楽しいドライブができている。


ましてや自分自身は車じゃないから、

誰かにメンテナンスしてもらうことなんてできないんだから。


まじめにひたむきに日々を送れど、

適当に大雑把に毎日過ごしても、どちらにせよ結局、傷はつくんだろう。


万病に効く薬があったとしても、

自分自身の心や生き方に効く薬は自分で作るしかない。


子どもの頃に読んだエリック・カールのはらぺこあおむしを思い出す。


青虫は綺麗で豪華な食事がたくさん乗ったテーブルの上に辿り着く。

見たことのない、ごちそうが食べ放題。


しかし、あおむしがあおむしから美しい蝶になるために必要なのはなんの変哲もない葉っぱ一枚であった。


自分が欲するものと

自分に必要なものは相違することがある。


いつか養老孟司の本を買った時、本の帯に

アタマを信用するなというキャッチコピーがあったけれど、


それでは感覚や感性をもっと大切にするべきだろうか、と思った。


私というあおむしにとって、一枚の葉となりうる感性は。
















 
 
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